旧伯太藩上級家臣の杉浦家文書を整理した中で、七百冊以上残された和書や漢籍には岸和田藩校講習館の教授だった土屋弘と、明治生まれの杉浦聞多の交友を示すものが多数ありました。
伯太藩は明治の廃藩置県で伯太県となり、その後廃止されて堺県と合併しました。土屋弘は堺師範学校の校長をつとめつつ、自宅で晩晴書院という私塾を開きました。杉浦聞多は堺師範学校で学びつつ、晩晴書院でも学んだことがわかっています。
杉浦聞多は小学校教諭となりますが、その後、大阪府職員に採用され、30才で住友に引き抜かれたようで、最後は総本店副支配人にまでなっています。土屋弘は華族女学校教授や東洋大学教授を務めました。
和泉市に寄贈された杉浦家の蔵書を見ていると、杉浦聞多と土屋弘の生涯にわたる師弟関係や明治時代の漢学を通じた人脈が見えてくるようです。
『広報いずみ』2020年3月はこちらで全文PDFで読めます。拙文は12頁。